バランスセラピーの技術を習得し実際に活かしてこそ人生を豊かに楽しくでき、だからこそ輝くのです!
輝く3人を紹介します!



顔色も良く変わってきた。ストレス指数も減ってきた。永田さんは、「手ごたえ」を目の前に感じていたという。
その後、永田さんは良導技術を深め、1年くらい補助をやりながら、BTに対する理解を深めてきた。
「この時期は、まわりの人が良くなるだけで良かったが、今は職業人としてBTとかかわっていく必要があると感じています。今、生涯学習生がさかんに言われてますが、生涯学習(教養)というのは、『その人の資質を全人的に開花発展させるために学ぶ学術』といった意味もあることを知りました。いずれはBTがこの意味で「教養」として学ぶことに価値があるような社会にしたいと思う。」


ご主人を亡くされた衝撃はあまりに大きかった。村山さんは、完全に体調を崩してしまった。「二人の子供のためにも、今、自分がしっかりしなくてどうする。」自分を鼓舞して訪ねたのが、寺島先生のところだったのだ。村山さんは、良導を受けた。6月頃にまた、寺島先生のところに行った。「寺島先生は、『もう、体が変わってきていますよ』と言われました。10回くらい続けて行きました。」
その頃、村山さんは就職活動をしていた。東京都の就職訓練校を受験しようと思い、願書まで取り寄せていた。寺島先生のところで、「私、今度伊豆に行くことになったのよ。」と寺島先生。「私をおいていかないで」と懇願する村山さん。「田町を紹介します。あなたにはBTUが向いている」という寺島先生。「私は、1週間くらい悩みました。いきなりパンチを喰らった感じでした。」
そして、1週間後、村山さんは結論を出した。
「でも、食べていくんだったら、仕事は何でもいい。BTの仕事は、人とかかわり、自分も育ち、いい仕事かも知れない。定年もないし。回りの人が幸せになる仕事だと思ったりした。自分も元気になり、まわりも元気になればいい。」
こう考え、訓練校から180 度転換し、ここで自分の道をつくっていこうと決意した。
「下の子はサッカーをやっていましたが、夫の死後、ぽっかり穴があいたように、足が動かなくなり、クラブに行かなくなった。本人は行きたいのに、足が動かない状態でした。その時、母校の先生が『クラブのみんなが待っているよ』と後押ししてくださった。すると、子供は『じゃ、僕、行く』と言ってチームに戻ったのです。このときは嬉しかった。そして、月に2、3日、子供が学校を休んでしまうときに、寺島先生に良導をしてもらった。すると元気が出てきた。すごく感謝しています。」今では、二人の子はお母さんの勉強を応援しているという。
「今では、長女が練習台です。『いつでも練習台になるよ、お母さん』と言ってくれるんです。」


母子家庭のような暮らしでした。こうしたストレスが重なって、パニック症になったのではないかと思っています。」渡辺さんはその場で大学に電話をかけ、資料を請求した。資料の中には公開講座のお知らせが入っていた。「面白そうだったので、公開講座に参加した。脳幹や筋肉と脳の関係、ストレスのしくみ等を聞いていて、なるほどと思えた」という。
それでも疑いは消えず、その後2回、公開講座に出席した。「やっぱりいいかもしれない」と思い、その後、良導を受けた。
「良導を受けた後、自分でも最初は気がつかなかったのですが、首のまわりにかたまっていたしこりが、ホントにポロッととれたのです。」この「衝撃的な」経験を体感して、「これは信頼できるものだという気持ちに変わっていったのです。」
渡辺さんは、良導には週2~3回通い、アメリカのドクターに処方してもらっていた抗うつ剤を徐々に減らしていった。最後には飲まなくなっていた。
そうした経緯の中で(2ヵ月くらいで)、渡辺さんは、完全にパニック症を克服してしまった。それからBTを学ぼうと考えるのはごく自然のことだった。基礎課程へ入学。
子育てした後の自分を、そこにつなげていけるという思いが強く起こってきたのです。